2025年3月旧川越街道の宿場町「膝折宿」と高麗家

和光スコープ

2025年3月旧川越街道の宿場町「膝折宿」を訪れました。高麗家や牛山家といった旧家が膝折宿を治めていたそうです。

膝折宿脇本陣

こちらの建物は膝折宿の脇本陣といい、高麗家が旗籠を営まれていたそうです。建物は18世紀の末期の建造とされています。

ただ、旗籠はそれ以前から営まれていたようで、古くは室町時代から膝折宿には古い宿場町として興り、江戸時代には旧川越街道の宿場町でもあり、この地方の中心地として栄えていたそうです。

ちなみに、膝折宿というのは、小栗判官という武士が敗走しているときに愛馬「鬼鹿毛」の脚が折れ、息絶えた地を「膝折」と呼ぶようになったといわれているそうです。

膝折宿本陣跡地

こちらは脇本陣から少し志木寄りに進んだ場所にある本陣跡地になります。こちらは高麗家ともゆかりの深い牛山家が運営しておりましたが、2024年10月25日をもって閉店しました。

牛山歯科

こちらは牛山家が営んでいた牛山歯科です。敷地内に蔵があったりしますし、隣家は高麗家となっていたりして、高麗家と牛山家ほつながりがうかがえます。

かつての膝折宿 

かつての膝折宿の様子を記した絵です。

左上から和光市方面から膝折宿に入り、右側には黒目川が流れています。かつて高麗家や牛山家が庄屋として黒目川を挟んだ手前の朝霞や奥の新座の一帯を治めていたそうです。

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